大人気作品である『鬼滅の刃』のアニメ第3期放送が間近に迫ってきましたね。本作は数々の魅力的なキャラクターが登場し、キャラクター人気の高さにも定評のある作品となっていますが、皆さんの本作における最も好きなキャラクターは何でしょうか?多くのファンの方が作中最強格のキャラクター達である、柱の名前を挙げるのではないでしょうか?性格や見た目がバラエティー豊かで、幅広いファンの好みをカバーしていることからも、柱は多くのファンから圧倒的な人気を得ています。そんな、柱の人気によって霞んでしまいがちですが、本作にはもう一つの最強格のキャラクターである上弦の鬼 がいることも忘れてはいけません。敵役のキャラクター達ですので、あまり注目されることはありませんが、実はよくよく見てみると、柱たちよりも魅力的な側面があったりします。今回はそんな柱の影に隠れてしまいがちな上弦の鬼たちの魅力について、なぜ柱よりも注目すべきなのか?という観点から紹介していきたいと思います。
なぜ敵役は魅力的なのか?
まずは、本作に登場する敵役たちが、なぜ魅力的なのかという点から解説をしていきたいと思います。純粋に日本の作品では、味方サイドに倒される敵にも感情移入しやすいように作られている「判官贔屓」の傾向が見られるのですが、本作では、これらの判官贔屓のみならず、様々な要素が絡み合って敵役が魅力的に演出されているのです。
グッとくるエピソードが多い
1つ目は、鬼たちにグッとくるエピソードが多く用意されている点です。どんなに悪逆非道な行為をしている鬼であっても、過去に何らかの不幸があって鬼となっている場合が多いです。このような背景を深掘りしてみると、鬼達にも同情するようになりますよね。
ネタにされやすい
さらに、鬼たちは常人では理解できないような感性を持っていることもあり、その行動が一歩引いて見てみると少し面白かったりします。そのため、インターネット上では、鬼たちの少しずれた発言や常人では理解ができない行動をネタにする傾向もあり、親しみやすいネットミームとして活躍するという側面もあるのです。
柱と鬼の違い
柱と同じように魅力的な側面を有している鬼たちですが、彼らの魅力というか、性質は、一体どこが異なっているのでしょうか?ここからは、そんな双方ともに魅力的な存在である柱と鬼の違いについて、詳しく深掘りをしていきたいと思います。
(柱)どこまでも強く、尊敬できる存在
柱と言えば、常に炭治郎を導く存在として、前線で戦い多くの人の安全を守ってきた「尊敬できる存在」という側面が強いでしょう。戦闘描写においても活躍する場面が多いため、応援してて安心して楽しめるキャラクターたちであるといえます。
(柱)頼れる先輩たちというイメージ
共に戦う仲間としてではなく、頼れる先輩というイメージが強いことからも、彼らから大切なメッセージや努力の大切さを常に学ぶ事ができます。主人公の炭治郎とっても、作品を楽しんでいる我々ファンにとっても、多くの学びと発見を与えてくれる素晴らしい存在であるといえます。
(鬼)常軌を逸した狂気を持ち合わせた存在
一方、鬼たちは我々人間では理解できないような常軌を逸した、狂気を持ち合わせた存在として描かれています。一見してみると、ただただ怖いだけの存在ですし、早く柱たちに倒されてほしいと思ってしまうようなシーンも多いのが実情です。
(鬼)心の弱いダメな人というイメージ
特に鬼たちは、一人一人がどこかに心の弱さを持っています。そして、この心の弱さがあったからこそ、鬼になるという逃げ道に走ってしまったキャラクターたちです。我々ファンからしてみても、何か彼らから学ぶことができることがあるわけではないというのもポイントですね。
感情移入しやすい敵役
このように、柱たちに比べて何か大きな学びを得たり、憧れたりすることができないキャラクターたちとなっていますが、その代わりに鬼たちはとても感情移入しやすいキャラクターとして描かれています。ここからはそんな鬼たちの魅力の1つである感情移入のしやすさについて解説していきたいと思います。
誰にもある心の弱さ
鬼たちが一人一人持っている心の弱さは、我々ファンも持っているものであるといえます。むしろ柱のように心の弱さを克服し、完璧な存在として敵に立ち向かえるような達観した方の方が少ないのではないでしょうか?ただの一般人として何の鍛錬もしてない我々からしてみれば、この鬼たちが持っている心の弱さこそ、最も共感しやすいものの1つであるといえるのです。
心の弱さを克服する主人公
この我々が持っている心の弱さに対して、主人公の炭治郎は同じように迷い、苦しみながらも、鍛錬を重ねて克服していくことで、我々に感動を届けてくれています。 まさにジャンプ漫画の主人公の鏡ともいえる彼の行動ですが、逆に言ってしまえば、ファンにとって彼のように努力ができなければいけないという重しにもなっているのです。
心の弱さを肯定する鬼
それに対して、鬼たちは我々と同じような心の弱さを持っていながら、逆にその心の弱さを肯定し続けた存在であるともいえます。主人公の炭治郎とは逆に、弱いところを持っているからこそ、鬼になることが出来るので、我々からしてみれば逆に心の弱さを最もわかってくれる存在としても受け取ることができるのです。
読者には鬼の方が共感しやすい
このように考えると、常に正しい立場として鍛錬を続ける主人公サイドよりも、心の弱さを肯定し続けてくれる鬼たちの方が、共感しやすいキャラクター達だったりするのです。「それが悪の誘惑なんだ!」と考えてしまう事はたやすいですが、果たして、彼らと同じように心の弱さを肯定してしまう事はいけないことなのでしょうか?
炭治郎は感情移入しにくい??
何よりも、主人公炭治郎は、我々の持っている心の弱さを見つめなおし克服することで、我々を励ましてくれる存在にはなっていますが、逆に言ってしまえば非常に感情移入にくいキャラクターとなっているのです。
誰もが強くなれる訳ではない
誰もが炭治郎や、柱たちのように鍛錬を続け、強くなっていけるわけではありません。時には努力することを諦めてしまったり、自分とは違う、努力ができる人たちを見て妬んでしまったり、ネガティブな思考を持ち続けてしまうことも往々にしてあるのです。
なれないからこそ、憧れる
逆に言ってしまえば、彼らのように努力をし続けることができないからこそ、逆に憧れ、応援したくなるという事でもあるのですが、しかし、それはアイドルを応援し続けるようなもので、絶対的に自分が近づけない存在を拝み、心の支えとする行為と何ら変わらないこととなってしまうのです。
『鬼滅の刃』のちょっと大人な楽しみ方
このように考えると、柱や炭治郎たちを応援し続ける楽しみ方よりも、もっと大人な楽しみ方が見えてくると思います。味方サイドばかりを応援している子供たちとは、また違った角度から『鬼滅の刃』を楽しんでみましょう。
敵役に注目!!
ちょっと大人な楽しみ方とは、「敵役である鬼たちに注目をしてみる」という方法です。鬼たちは味方サイドとは異なり、卑怯な手段を使ったり、現実から逃避したりと、一見すると応援しにくいキャラクターたちのように見えてしまいます。しかし、彼らのその行動の裏には、我々と同じような心の弱さが隠れており、 その心の弱さ故の葛藤を常に抱えながら前に進んでいるキャラクターたちなのです。
柱を否定的に見てみる
逆に、常に正しい道を進み続ける柱たちの行動を否定的に見ているというのも、レベルの高い楽しみ方です。決して困難から逃げてはいけない、常に人のために何かをしないといけないという、もはや一般常識とも言える道徳観念を体現しつづける、彼らを否定的に見てみることで、普通の見方では楽しむことのできないもう一つの観点から本作を楽しむことができるのではないでしょうか?
お前も鬼にならないか?
この記事を通して皆さんに伝えたい事はたった一言、「お前も鬼にならないか?」です。 鬼になれば、普段の生活で感じる自分の心の弱さや、歯がゆい気持ちも彼らが常に肯定し続けてくれます。自分の弱い心に対して立ち向かい続けるだけが常に正解だとは限りません。時には、その弱さを認めながら、共に歩んでいくという姿勢をとり続けることも、私たちが鬼から学ばなければならない立派な処世術なのかもしれません。
悪の生き方もかっこいい!!
このように、本作以外でも、主人公サイドよりも悪役サイドの方が魅力的だったりする作品は数多く存在します。ぜひとも、本作以外にも悪役サイドに注目をしつつ、作品を2つの観点から楽しんでみてくださいね。
まとめ
いかがでしたか?今回は本作『鬼滅の刃』に登場する鬼たちの魅力について紹介をしていきました。もちろん柱たちも、充分魅力的なキャラクター達ではありますので、引き続き彼らを応援したい方は彼らに注目しながら楽しんでみてください!逆に、今回の記事を見て鬼たちに少しでも魅力を感じていただけたのであれば、ぜひとも次回放送されるアニメ3期では彼らに注目をして作品を楽しんでみてくださいね。