今回解説するのは、以前取り挙げた著雍(ちょよう)を獲った直後のお話になります。先にそちらの記事を読んだうえで、この記事を読んでいただくと幸いです。さて、あと少しに迫った加冠の儀、やっと長きに渡る大王陣営と呂不韋(りょふい)陣営の戦いに終止符が打たれることになります。(ネタバレ注意です!!)
毐国の誕生①
2年前の蕞(さい)での奮闘、半年前の屯留での成蟜の死、そして来年に控えた加冠の儀を前にして、秦王・嬴政(えいせい)と相国(しょうこく)呂不韋の政権争いは激化していました。そんな王宮に現れたのは、政の母である太后と呂不韋が男娼として送った嫪毐(ろうあい)でした。太后は三大宮家で山陽と著雍に金を落とす代わりに、その一帯を嫪毐が治めるといった要求をしてきました。男娼の件とかつては恋仲にあった弱みを握られている呂不韋は、その要求を受け入れ、半ば強引にこの要求が通ってしまいます。
毐国の誕生②
山陽へ向かった太后たちでしたが、彼女らはさらに北の太原(たいげん)という地に移りました。太后は次第に宮家の力を使い、兵や民、武器や食料をこの地に運び込み、あろうことか、勝手にこの太原一帯を新たな国、毐国(あいこく)としてしまったのです。混乱する大王陣営と呂不韋でしたが、毐国は着々と独立国家として軍を整備し、楚と手を結び、南から楚軍を侵攻させることで、南北で秦を挟む形を作り、秦軍を毐国に送らせないようにしました。
始皇九年
日に日に膨張していく毐国の勢力を前に、季節は新年を迎えました。始皇九年、いよいよ政の加冠の儀が執り行われる年になります。「加冠の儀」とは、元服(通常は20歳*嬴政は22歳でこの儀式を行った)を迎えたときに行う儀式のことであり、この儀式を終えると、晴れて秦国の君主として執政ができ、他国からも認められ、中立勢力もすべて強制的に傘下に加えることができるものでした。実質、この儀式さえ無事に執り行えば、嬴政側の勝利ということになります。そんな大事な年に、最初に動いたのは毐国でした。
毐国の挙兵
各国が毐国を財源の面で太らせ、秦の妨害をしようとする中、それにおだてられた君主、嫪毐は王とあがめられ、秦国に対して突如、一斉蜂起をしました。実は、この蜂起には、毐国の大臣、虎歴(これき)という人物が裏で糸を引いており、虎歴は嫪毐と太后との不義、そして隠し子が王都にバレたと、嘘の報告をし、怒った王権勢力が襲ってくる前にこちらから奇襲を仕掛けるべきだと唆しました。また、虎歴により太后との間に生まれていた子供も人質に取られ、嫪毐たちは半強制的に蜂起をさせられたのでした。
加冠の儀
咸陽から東西にかかる渭水(いすい)という川を昇り、北西に150㎞先、加冠の儀が執り行われる旧王都・雍(よう)があります。この雍に集まった人々は、式典の場、蘄年宮(きねんきゅう)へと通されます。各国の代表や要人たちが来賓し、そして渦中の太后、相国・呂不韋、右丞相・昌平君、左丞相・昌文君、最後に嬴政が登場しました。最期に登場した政は、不思議なことに、周囲に光をまとってみえるほどに、神々しく確かな王としての器を示していました。
毐国の急襲
式が進み、弱冠13歳で王位についた嬴政は、晴れてここに第31代秦国大王となりました。周囲からの歓声と玉座には中華統一の決意を固める嬴政の姿がありました。式の余韻もつかの間、毐国3万の軍がすでに函谷関を抜け、咸陽に向かっているとの伝令が走ります。不敵に笑う呂不韋、そう、毐国の虎歴とつながっていたのは他でもないこの呂不韋だったのです。毐国が咸陽を攻め落として王族を皆殺しにし、この雍まで攻め入り大王も殺す、それを蒙武軍を従えた呂不韋が討伐する、ここまでが呂不韋の描いたシナリオでした。
大王陣営の余裕
その呂不韋の表情を見て、騙されたと悟った太后が激怒する中、呂不韋は早々と儀式を切り上げようとします。しかしここで、嬴政は余裕の表情で儀式は最期まで執り行うと言い切ります。この落ち着いた態度に、呂不韋は策が嬴政にバレていたのでは?と疑います。しかし呂不韋の配下、李斯(りし)の根回しは完璧であり、李斯は毐国軍に対抗できる軍は咸陽にはいないと断言しました。
嬴政の策
一気呵成の呂不韋陣営に、嬴政は援軍として飛信隊、そして2年前に王自ら守り切った蕞に1万の兵を隠していたことを明かします。場面は変わって、咸陽へ繋がる南道から、渭水を船で渡る1万の兵。信たちもここにいました。川を超え、咸陽へと向かう信たち、すでに咸陽では攻城戦が始まっており、呂不韋の手回しによりあっさりと開城を許してしまいます。城内で民を殺戮する毐国軍、後方からこれを止めようと進軍する信たちよりも先に、黒づくめの騎馬隊が現れました。
近衛兵の正体
毐国軍を次々に撃破し進攻を食い止めるこの騎馬隊の正体は、昌平君の近衛兵(このえへい)でした。呂氏四柱の1人、昌平君。雍の蘄年宮では、その昌平君が呂不韋に向かって立ち上がり一言、「世話になった」と告げます。蕞へ介億(かいおく)を派遣したときから、少しずつ始まっていた昌平君の心変わりですが、ここで堂々と呂不韋との決別を宣言したのでした。決心した表情の昌平君は、急いで昌文君と共に咸陽へ救援へと向かいます。
2つ目の開門
近衛兵の登場により、敵の第一陣は止まりましたが、反乱軍3万の力により2つ目の門が開門してしまいます。河了貂と信の胸の内にあったのは、屯留での成蟜(せいきょう)救出失敗の記憶でした。何としても政の子供だけは殺させない、信は檄を飛ばし全速力で後宮へ向かいます。毐国軍は秦への強い恨みを持った者たちでその多くが構成されており、宮廷は秦貴族の血の海と化していました。後宮では、向(こう)と政の子、麗(れい)、親友の陽(よう)が追手をかいくぐり、宮外へ脱出するための道に差し掛かります。
2つの道①
一方、儀式が終わり、咸陽からの報を待つ雍では、呂不韋と嬴政の思い描く「天下」についてが語られます。呂不韋は天下は貨幣制度によりもたらされたと主張します。貨幣制度により、富の差ができ、人には他人よりも裕福になりたいという我欲が生まれ、その延長にあるのが、中華を支配したい者たちの集まった今の戦乱の世だと呂不韋は続けます。そして、財力で国を治めることにより、豊かな秦国を創り、秦中心に他国にも金を分け与え、暴力を失くした中華の統治という夢を呂不韋は語りました。
2つの道②
そして呂不韋は、政の中華統一とは狂気の沙汰であり、憎しみの連鎖を生み出し、戦争はなくならないと批判します。話を聞いた嬴政の眼はまっすぐに呂不韋を見つめ、自身の夢について語り始めます。呂不韋の考えは、戦と向き合っておらず、富で豊かになった国々が力をつけた時、その富でさらに大きな戦が起こってしまうと反論します。そのうえで、嬴政は人の本質とは光だと言います。
2つの道③
幼き頃出会った紫夏(しか)や王騎(おうき)、成蟜(せいきょう)、死んでいった彼らは、自分の中にある光を必死に輝かせていたのだと、政は言います。
そしてそのバトンを次の世代がつなぎ、人はより良い方向へ前進する、人が闇に落ちるのは戦争による悲劇によるところが大きく、その戦争を武力で無くすのが夢だと続けます。自分の代で、戦争を終わらす。中華を分け隔てなく、上も下もなくして一つにした先にあるのが、人が人を殺さなくてもよい世界だと秦王は言いました。
後宮にて
嬴政の夢、そして語られたその先の未来についての話は、呂不韋も含めその場にいたものの心を掴むものでした。この舌戦は、咸陽を守れなければ意味の無いものですが、それでも2人の描く2つの道を語る意義は十分なものでした。さて、後宮の大通りに出た向たちでしたが、それを読んだ毐国軍の騎馬が前方から迫ります。何とか、向と麗だけでも逃がすべく、陽が騎馬の道を立ちふさぎます。一騎だけでも、道連れにしようと一歩も退かない陽。騎馬兵が剣を振りかぶり、陽が決死の覚悟で馬に走り出した瞬間、上から騎馬諸共、真っ二つにしたのは、飛信隊の信でした。
咸陽戦
間一髪、信が追いつくことに成功し、他の騎馬兵もなぎ倒します。遅れて飛信隊も合流し、何とか政の妻と子と陽を守り抜きました。一方、城外ではこれ以上、宮内へ敵を入れないよう決死の集団戦が繰り広げられていました。河了貂をもってしても、敵軍3万には劣勢を強いられ、窮地に陥ります。ここで駆けつけたのが、雍から走ってきた昌平君一団でした。文官でありながら、幼い頃は蒙武よりも強かったという昌平君、そして頭脳は李牧並みに長けた彼の高等戦術、「包雷(ほうらい)」により、なんと昌平君は一瞬で敵将を討ちとってしまいました。
勝鬨
まさに疾風迅雷、一気に敵将を破り、勝鬨(かちどき)を挙げた昌平君でした。一度広まった敗戦の一報は、反乱軍を逃げ腰にさせ、さらにわざと後ろに逃げ道を作ることで、全軍敗走を促します。これにて、咸陽攻防戦は幕を閉じ、無事、向と政の子、麗を守り、王都も一先ず窮地から脱しました。
完全勝利
趙から命からがら逃げのび、齢13歳で即位してから、約9年に及ぶ呂不韋との長い長い戦いが、嬴政の完全勝利という形で、ここに完結したのでした。雍で、これらの報告を聞いた嬴政には安堵が、太后には怒りが、呂不韋には完敗したという得も言われぬ感情が、それぞれ渦巻いていました。彼らを裁き、この戦いによって過去のしがらみや因縁を振りほどいて、第31代秦王・嬴政は中華統一に向け、これからその歩を進めるのでした。
まとめ
いかがだったでしょうか。こちらは漫画では40巻までのお話で、嬴政と呂不韋の戦いがここに堂々完結しました。呂不韋の大きな誤算は昌平君の裏切りでしょうが、昌平君は嬴政の王としての器を認め、中華統一の夢を一緒に叶えたいという想いからこのような行動を起こしました。これにより昌平君がこれまで以上に活躍する場面が多そうなので、これから期待しておきたいですね。