「ラブコメ最近読んでいますか?」そう聞かれたら、アニメオタの反応は2パターンしかありませんよね。「ラブコメはすごい好きだよ!むしろラブコメ作品しか見ないんじゃないかな!?」という超ポジティブな反応と「いや、作品に深みがないからそこまで見ないかな、」というネガティブな反応です。本作も然りですが、ラブコメ作品は読者が読んでいてドキドキするような過激な表現が多く、読み手からしても読むのにだいぶエネルギーのいるジャンルであると言えるのではないでしょうか?仕事帰りに心の栄養として読む大人のファンはともかく、思春期真っ只中の高校生、大学生からしてみれば他のジャンルの作品よりも読むのに勇気と労力がいりますよね。それに何より周囲からの目も気になります。「ラブコメ作品が好きです!」なんて新学期のクラスの自己紹介で豪語してしまった日には女子からの冷ややかな目が向けられることとなってしまうでしょう。同じくアニメ作品のジブリ作品ですとか、子供向けのポップなアニメであれば「私も好き!」ですとか「あのキャラかわいいよね!」だとか、会話の輪が広がるのですが、ラブコメ作品に関してはそうはいきませんよね。しかし、そんな何かと不遇なラブコメ作品達ですが、近年のラブコメ作品は社会問題や若者の価値観などをどの作品よりも細かく描いているものが多く、単純にかわいいヒロインとイチャイチャする主人公を眺めてニヤけるだけのものではなくなっているのです。そこで今回はラブコメに少し抵抗を持っている読者の皆様に本当のラブコメの奥深さを本作『彼女、お借りします』を題材に紹介していきたいと思います!
ラブコメに対する偏見とは
ラブコメ作品の面白さを語る上で最も大きな弊害になっているのが、世間からのラブコメ作品に対する偏見ですよね。
なんか頭悪そう?
特にラブコメ作品というと、主人公とヒロインがただイチャイチャするだけで、何の教養もなくただ時間を浪費するだけだと思っている方も多いようです。近年では長編アニメ映画が映画界の名だたる賞を受賞することも増え、アニメ作品の奥深さがより注目せれていますが、ことラブコメ作品に関してはまだまだ幼稚なものという認識が拭えていません。
言い出しづらい雰囲気
そのため、冒頭で紹介したように公の場で「ラブコメ作品が好きだ!」と公言できなくなってしまっているんですね。ラブコメ作品を観ているとなると、どこか非モテで非リアな人なんだなと思われてしまわないかな、、という懸念が頭に付き纏ってしまうわけです。
ラブコメのテーマを本作から考える
しかし、ラブコメ作品は決してかわいい女の子の絵を見てブヒブヒ言うだけの作品ではありません。恋愛小説がそうであるように、男女の恋愛を描くことで現代の社会問題や若者の悩みなどを掘り下げ、我々に考えさせるような思想書のような側面もラブコメ作品にはあるのです。
本作は現代の若者の恋愛観を提示している
例えば本作では、「現代の若者の恋愛観」について深掘りをしています。ただ、和也がかわいい女の子達に振り回されるのではなく、そのような表面的な面白さをしっかり描きながらも「現代の若者はどのような恋愛をし、何を思っているのか?」と言うテーマを深く分解しているのです。
なぜ、祖父母の代がピックアップされているのか?
特に注目してほしいのは、本作に登場するキーキャラクターたちの多くが、和也達の世代である大学生と和也の祖父母の世代であるシルバー世代である点です。本作を読んで「なぜ、わざわざ祖父母の世代が多く登場するのだろう?」と思われた方も多いと思います。別に父親や母親の世代と対比してもいいはずですよね?実はこの違和感のあるキャラクター設定には本作のテーマに関わる大きな工夫が隠されているのです。
祖父母世代から見ることでレンタル彼女の異質さを強調
本作で最も印象に残る設定とは何でしょうか?この質問をしたときに多くの読者が「ヒロインが本物の彼女ではない、レンタル彼女である点」と答えるでしょう。このレンタル彼女という職種、かなり異質ですよね。つい最近までこのような職種は見られませんでした。本作ではこの近年現れたレンタル彼女という存在を通して我々に現代の恋愛について提示しようとしているのです。そこで、主人公と関わる大人達を両親の世代よりも更にアナログな世代である祖父母の世代にすることによって、レンタル彼女という最先端の職種と昭和のアナログな人たちが退避されることで、本作のテーマをより描きやすくしているのです。
現代はどんな時代なのか?
それでは、本作で描かれている現代とはどのような時代なのでしょうか?我々が今住んでいる世界なので、改めて分析する必要があるのか?と突っ込まれそうになるところですが、ここからは本作のテーマをより細かく分析する為に本作の作者が考えている「現代社会」について掘り下げて紹介していきたいと思います。
昭和の価値観
祖父母の世代である昭和の時代と現代の令和の時代で大きく異なるのが、サブスプリクションサービスや物をレンタルするという概念が大きく定着しているという点です。昭和の時代では高度経済成長が始まりこれまでなかった製品が多く手に入るようになりました。給料が入れば3種の神器と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫などを購入し、これまでの生活が劇的に変わっていきました。
令和の価値観
一方で令和の時代ではお金をかけて一つのものを購入するだけではなく、一時的に借りることでより効率的にものを使用することができるようになったのです。レンタルカーやレンタルオフィスの台頭だけに収まらず近年では彼女ですらレンタルすることができるようになりました。
アニメ作品にも言えること
これはアニメ作品についても言えることですよね。少し前まで、DVDを購入するしかアニメを好きに見ることができなかったのに、近年では月額料金を払うことで好きに見ることができるサブスプリクションが登場し、アニメのDVDを購入する機会も減ってしまいました。このように、所有するのではなく「必要なときに必要なだけ借りた方が楽じゃん」という考え方が主流となりつつあるのです。
昭和の価値観とのズレ
上記で解説した、昭和と令和のものを所有するという事柄に対する意識の違いが、本作で祖父母世代の価値観と若者世代の価値観のギャップとして描かれているのです。
昭和のラブコメならヒロインは瑠夏のはず、、
昭和のラブコメ作品であれば、ヒロインは間違いなく千鶴ではなく瑠夏だったでしょう。誰よりも前向きに和也のことを捉え、誰よりも「和也を自分のものにしたい!」という欲望がある彼女が、その想いの強さで高嶺の花であった千鶴を押し退け、和也を落とすというストーリー展開こそ、昭和のラブコメによくあったストーリー展開ですよね。おまけに、病気持ちの悲劇のヒロインなのですから、本来は本作で彼女を蔑ろにする理由は通常のラブコメ作品ではないはずなのです。
千鶴が高嶺の花の理由
それではどうして、本作のメインヒロインは身近な存在の瑠夏ではなく、高嶺の花である千鶴なのでしょうか?その理由は先ほどから紹介している現代の若者の価値観を深掘りすることで明らかになります。現代の若者は膨大な選択の中から最も自分にあったものをレンタルできる時代で生きているという点に注目をして、更に深掘りをしていきましょう。
「運命の出会い」は現代にない
例えば映画作品であっても、昭和の時代なら「運命の出会い」というのがあり得ました。たまたま、映画館で広告を見たとか、ポスターを見て心を奪われたとかですね。しかし、現代ではそんな運命の出会いも少なくなっています。膨大なサブスクリプションの映画一覧の中から自分にあった映画をじっくりと選び取ることできるので、自分にとって最もベストな作品を選ぶことができるてしまうのです。運命よりも確実に、ベストな作品を選び取れてしまうのです。
現代の若者と「推し文化」
これは恋愛の対象にも言えることです。これまではアイドルや俳優など、目にすることができる異性というのが限られていました。しかし、現代ではその魅力的な異性達をSNSの台頭により無限に探すことができるのです。その為、身近にいる誰かではなく、ネットを通じて見ることのできる自分にとって理想ドンピシャな人たちに恋ができるようになってしまいました(いわゆる、推しというものですね)。
高嶺の花に近づきたい!!
近年はこのような考え方を持つ若者が多いからこそ、本作のヒロインである千鶴も期待の新人No. 1レンタル彼女であるという設定なのです。通常では手を出すこともできないような相手に少しでも近づきたい!本作にはそんな数多くの若者の心の叫びが描かれているのではないでしょうか?
現代の若者を肯定している
それでは、本作はこんな「ものを所有することのできない若者達」を批判しているのでしょうか?私はそうではないと考えています。ここからは本作が若者である我々読者に対してどのようなメッセージを掲げているのか更に深く考えていきたいと思います。
それでも変わらない人の本質を描く
まず、本作のストーリーで絶対に落として欲しくないのが「主人公和也の言動や行動が、紆余曲折ありながらも最終的に一致するようになる」という点です。作品冒頭では昭和世代との考え方の違いが多くピックアップされていた主人公の和也ですが、物語の終盤に差し掛かると千鶴の亡き祖父と発言が一致するようになるのです。このシーンからも本作では「価値観や恋愛に対する考え方は変わるが、誰かを好きになる気持ちの根本は決して変わることがない」ということを伝えようとしていることがわかるのではないでしょうか?
大切な人への想いはレンタルでも家族でも変わらない
千鶴の祖父は千鶴に「いつか必ず千鶴の女優になりたいという夢は叶う」と言い続け、彼女の女優としての姿を見ることなくなくなりました。彼の考え方は「願い続ければ必ず夢は自分のものになる!」という昭和らしい考え方でしたね。それに対して和也も「千鶴の夢は必ず叶う!」と豪語するようになります。昭和の世代とは異なり、レンタル彼女として関わっていたという、いわば偽物の関係だった和也と千鶴ですが、どんなに偽物であっても大切な人を心から信じたいという和也の思いは本物の家族であった祖父と同じものになり得たのです。
現代の若者はどう生きるべきなのかを考える
何かを所有するという感覚が薄れてしまった現代。スマホを開けば身近に可愛い人がたくさんいるような気持ちになってしまう現代。どこでも可愛い彼女がレンタルできてしまう現代。昭和の「高度経済成長と一緒に所有することのできる物が増える」という価値観から大きく変わってしまった現代。そんな時代では「誰かを思い続ければ必ず思いは伝わる」という昔ながらのラブコメはウケないのかもしれません。しかし、そんな時代の過渡期であっても、本作が言っているように「誰かを好きになる気持ち」の本質は変わりませんし、ラブコメ作品が提示する「誰かを好きになることの楽しさ」というメッセージもこれから先、本質として変わることなく受け継がれていくのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたか?何かと軽視されがちなラブコメ作品のストーリーですが、細かく見てみると作者が我々についた得体メッセージなどが数多く仕込まれていることに気づくことができると思います。ついつい絵面などに気を取られて薄い作品だと思ってしまいがちですが、ラブコメ作品には本作のようにうまく社会風刺を絡めている作品もありますので、ぜひその他のラブコメ作品についても注意してみて下さいね!