世界中から人気がある日本のアニメといえば、「スタジオジブリ」ですよね。日本人も誇れる名作ばかりが生まれているアニメ会社です。そんなジブリの裏側って覗いてみたくないですか?実はこうだった・実はこうしたかった、なんて話をお教えします。知っているのと知らないのとでは、映画の見方が変わってきますよ。是非こちらの記事を見てから映画も見てみてくださいね。
目次
ジブリの裏側① ナウシカレクイエム
1984年に公開された「風の谷のナウシカ」は、まだスタジオジブリが出来る前に、設立のキッカケとなった作品でもあります。この作品が無ければスタジオジブリは無かったかもしれません。それぐらい爆発的に売れたんですよ!そんな風の谷のナウシカで有名なのが、ナウシカレクイエムです。ランランララランランラン、と誰でも歌える曲ですよね。この曲を歌ったのが、当時4歳の久石麻衣(ひさいし まい)さんです。現在も歌手として活動されているんですが、実はこの方はナウシカレクイエムを作った久石譲(ひさいし じょう)さんの娘さんなんですよ!たまたま歌わせてみたら宮崎駿監督が気に入り、採用されたそうです。蛙の子は蛙ですね。
ジブリの裏側② バルスでバルス
こちらも大人気の「天空の城ラピュタ」です。名言といえばやはり、滅びの言葉の「バルス」ではないでしょうか。2011年にTwitterがかなり普及した際、Twitter上にてパズーとシータが「バルス」と唱えると同時に、Twitter民も一斉に「バルス」と唱えたんだそうです。TPS(1秒当たりのツイート数)が世界記録を大幅に超える25,088ツイートだっだそうです。これにより日本のTwitterのサーバーがダウンしたんです。叫び過ぎです(笑)その後も放送があるたびに更新されているそうですが、改善の結果サーバーダウンは起きていないそうです。放送の1週間前には「バルスの投稿の自粛」を警告する事態になっているそうですが、叫ばずにはいられませんよね(笑)
ジブリの裏側③ となりのトトロその後
1988年に公開された「となりのトトロ」は、実は主人公はサツキとメイを足したような女の子だった、というのはあまりにも有名ですね。何故姉妹になったかというと、同時上映されていた「火垂るの墓」が、60分の中編アニメから90分の長編アニメになったんです。では、となりのトトロも80分以上の長編アニメにしようとなった際、どうやって20分以上伸ばすかと宮崎駿監督に相談したんです。「主人公を姉妹にすれば20分くらい伸びるだろ」ということでサツキとメイが誕生しました!とてもシンプルな話だったんですよね(笑)そして、サツキ達の将来は成人して結婚したいい娘さんになっていると、宮崎駿監督はおっしゃています。宮崎駿監督の中では二人とも今も成長し続けているんだそうです!
ジブリの裏側④ 迷い続ける
「となりのトトロ」と同じく1988年に公開されたのが「火垂るの墓」です。最後は兄の清太は兵庫県三ノ宮駅で震災孤児となり、栄養失調でなくなっていましたよね。実はその後があるんです!幽霊となった清太は再び幽霊となった節子と出会い、今の時代となっても成仏できず彷徨っている、という話なんです。どこまで辛い話なんでしょう。そして、都市伝説にもなっているのが、「千と千尋の神隠し」に節子が登場しているということです。千尋が電車に乗っているシーンで、駅で待つ少女が節子に似ているというのです。今でも駅で兄、もしくは父親を待っているのではないかと言われています。戦争で得られるものは無いですね。辛い裏話でした。
ジブリの裏側⑤ 二人はどうなった?
1989年に公開された「魔女の宅急便」で一番みなさんが気になっていることって、トンボとキキは結婚するのかということではないでしょうか。魔女の宅急便は小説で、実は続きがちゃんとあるんです!トンボは15歳の夏に飛行に関しての研究を終え、生物学へ転身しました。21歳まで生物学を専攻とした学校に通い、コリコの街へ戻り中学校の生物教師になったんです。まさかの教師なんです。そしてその後キキと結婚し、ニニとトトという双子の女の子をも受けています。幸せになっていて安心ですね。因みにオソノさんも女の子を産んでいて、名前はノノちゃんだそうです!
ジブリの裏側⑥ 続編はまだ?
1992年に公開された「紅の豚」は、アニメは児童のもの、という自身の概念を覆す作品でしたね。宮崎駿監督と同年代にむけて描いたもので、映画公開後は「続編をやりたい」と言っていたそうです。それが今から27年前なので、もうあり得ないのでしょうか。実は続編をするために、ラストシーンを変えたそうなんです。それくらい宮崎駿監督にとって思い入れのある作品で、もしかすると一番宮崎駿監督らしい作品なのかもしれません。そしてなんと続編のタイトルまで決めていたそうで、その名も「ポルコ・ロッソ 最後の出撃」だそうです。タイトルを聞いただけでも早く見たいと思ってしまいますね!短編でもいいので是非公開してほしいです。
ジブリの裏側⑦ サンとアシタカ
動物と人間の戦いと葛藤を描いた「もののけ姫」は、今でも大人気ですよね。サンとアシタカっていつの間にか仲良くなったと思いませんか?サンとアシタカの様子が変わったのが、アシタカが再び生き返り、サンがアシタカを看病してからです。鈴木敏夫プロデューサーも二人の異変に気付き、何度も宮崎駿監督に「二人、やっちゃいました?」なんて聞いてたそうです(笑)恥ずかしかったのか教えてくれなかったそうですが、何度も聞いてくるのでついに「考えたらわかるだろ!」と怒られたそうです。そういうところは書きたくない宮崎駿監督らしい返事ですよね(笑)
ジブリの裏側⑧ かめはめ波
2002年に公開し、今でも興行収入1位の大人気作品が「千と千尋の神隠し」です。9回目となるテレビ放送でも平均視聴率17.9%と、人気が落ちることを知りません。そんな千と千尋の神隠しで、暴走したカオナシに対して「お客様とて許せん!」と、湯婆婆が攻撃をしましたよね。あの攻撃、どこかで見たことはありませんか?絵コンテにも宮崎駿監督からの指示がちゃんと残っているんですが、その指示の内容が「ドラゴンボールのかめはめ波みたいに」と書いているんです!宮崎駿監督がドラゴンボールを見ていたというのも驚きなんですが、指示の出し方が面白いですよね。
ジブリの裏側⑨ 実は上手かった
続いては宮崎駿監督の息子さんである宮崎吾郎監督の初監督作品、「ゲド戦記」にまつわるお話を一つご紹介します。初めは建設コンサルタントを職にしていた宮崎吾郎監督でしたが、鈴木敏夫プロデューサーの勧誘で、ジブリ美術館のオーナーになります。そしてまた勧誘され監督をすることになったんですが、実はゲド戦記は宮崎駿監督が昔から映画化したいと熱望していた作品なんです。それを鈴木敏夫プロデューサーは息子の吾郎さんに、と言われたら怒りますよね(笑)「絵もろくに描けないのに鈴木さんは頭がおかしい」とまで言っていたそうなんです。しかし、吾郎さんのゲド戦記の絵を見た瞬間、監督をしてもいいとおっしゃったそうです。その絵がポスターにもなった画像のものです。もはや才能でしかないですね。凄すぎます!
ジブリの裏側⑩ 当初宮崎駿監督ではなかった
最後は2004年に公開された「ハウルの動く城」からです。実は監督は、今もっとも人気のある細田守監督が担当する予定だったんです。細田守監督といえば、「時をかける少女」や「おおかみこどもの雨と雪」、最近では「未来のミライ」が有名ですね。そんな大人気の監督が担当される予定だったなんて驚きですよね。作業には入っていたそうなんですが、細田守監督の身内に不幸があり辞退したともいわれています。細田守監督に詳細を聞くと、笑顔で「まあ、まあ。当時私は若かったんです」とおっしゃっていました。ジブリとモメタともいわれているので、そちらのほうが濃厚ですね。色々あるんです(笑)
裏側を知れば見方が変わる!
いかがでしたでしょうか。【ジブリ】ジブリマニアが教えるジブリの裏側をご紹介しました。何も知らずにみるのと、知ってから見るのとでは全く違いませんか?知れた時は何だか嬉しくてまた映画を見たくなりました。そしてもっとジブリを知りたくなりますよね。これからももっと私たちを楽しませてほしいです!