今年アニメ化が決定した『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』は元々「カクヨム」で展開された文学作品だったということもあり、複雑な登場キャラクターの心理表現や作品テーマを孕んでいる作品です。ヒロイン沙優の重たい過去や主人子吉田の男性としての美意識との葛藤など、本作では通常のアニメでは描かれないような数々の複雑な心理描写が描かれています。今回はこのような本作の「文学性」に着目して分析していきたいと思います。ただボーッと可愛い登場キャラクターを眺めるだけではもったいない作品となっているので、アニメ版を観る前にぜひ一度チェックしてみてくださいね。
本作のテーマを分解していく
それでは、さっそく本作のテーマについて分析していきたいと思います。文学作品が元となっているだけあって、非常に複雑なテーマを孕んでいる作品なので、一つ一つの要素やキャラクター別に分化して考察していきましょう。
「居場所」と自己の肯定
ずばり本作の最大のテーマとなっているのは沙優にとっての「居場所と自己の肯定」です。家出をしたキャラクターが自己の居場所を求めて旅に出るといった内容の作品は多くありますが、本作は純粋に「自己を見失ったキャラクターが自分探しの旅に出る」という話に無難に落ち着けるのではなく、その居場所を「自己を肯定してくれる場所」と定義して物語を進行させているんですね。
テーマの二面性
このような自己の肯定というのは思春期の女子からすると非常に重要な要素ですし、同時に「自己肯定と子ども」というテーマも含むことができるという利点もあります。
本作の疑問提起
本作は、よくある自分探しの物語であると同時に子どもの成長に必要な自己肯定が現代社会では希薄になっているのではないか?という疑問を投げかける作品なのではないでしょうか?
子どもにとっての「他者からの認知」
それでは、本作のもう1つのテーマである「自己の肯定」とはどのようなものなのでしょうか?本作では子どもが大人に成長するのにあたって最も大切なものは「他者から存在を認知される」ことだと説明されています。例えば、沙優が家出をしてから多くの男性に体を受け渡したのも自己の存在を泊めてもらう代わりの見返りにすることで確認したかったものでしょう。だからこそ、吉田かは大した要求をされなかった時に逆に不安定になったんですね。
共有という自我の否定
このように、沙優には根本的に「他者に存在を認知されたい」という欲求があることがうかがえます。そのようなことを考えると、吉田が沙優と同じベッドに寝るのでなく、あえて別の布団を用意してあげたのも「自身とは別の彼女の存在」を認めるということを示す儀式だったのではないでしょうか?
これまでの宿主からの扱いは存在の肯定ではない!?
これまで沙優が宿主と同じベッドで寝ていたというのは、そのベッドはそもそも沙優のために用意されたものではなく、あくまで宿主が主体の物に沙優が寄生しているということであり、沙優の本来の居場所ではないのです。つまり、これまでの宿主からは沙優が存在を肯定してもらえていなかったということがわかります。
沙優に欠落しているもの
このように細かく本作の描写について分析してみると、沙優には「自身の居場所と、その居場所にいることを肯定するもの」が欠落していることがわかります。本作の大まかな流れは、物語を通してこれらの欠落しているものを吉田が補っていくというものなのです。
沙優と吉田の成長
しかし一方的に沙優が成長しているかというと、決してそうでもないのが本作の面白いところです。沙優だけでなく、5年間追い続けた末に先輩に振られ自己を見失っていた吉田にとっても、沙優の存在は「自己の存在を肯定する」ものだったのではないでしょうか?
沙優と吉田が補い合う話
このように、本作に登場する沙優と吉田は互いに「自己の肯定をしてくれる人物」が欠落しているのです。決して大人の吉田が一方的に子どもの沙優を成長させるのではなく、互いに補い合うという構造にしているというのが、最大の特徴にして恋愛小説として優れている点なのではないでしょうか?
現代社会と本作のテーマ
それでは、これらのテーマは我々にどのようなメッセージを伝えようとしているのでしょうか?ここでは本作のテーマを我々の住んでいる現代社会に落とし込んで、さらに分析していきたいと思います。
個人主義と現代社会
まず、現代社会の傾向として挙げられるのが「個人主義的な風潮が以前よりも強くなっている」というものが挙げられます。個人主義というのは「個々人の特性を尊重する」考え方です。
個人主義と現代社会の問題点は?
わかりやすい例で言うと例えば、スマートフォンの普及によって一家団欒でテレビをみる時代から、1人部屋でYouTubeを見る時代へと変化していたりと、とにかく現在の科学技術の進化によって物が一家に1台から1人に1台の時代へと変化しているというのが、現代社会の特徴です。
子どもにとってそれは良いことなのだろうか?
しかし、これらの「子ども1人1人が自分たちの世界だけで完結してしまう環境」を作るというのは果たして子どもにとっていい事なのだろうかと本作は我々に投げかけているのではないでしょうか?
親の役目と子どもの自我
子どもの存在を認めると一口に言っても、それは簡単なことではありません。子どもに自分の所有物を持たせ、自我の獲得を促すというのも親の役割ではありますが、一方で子ども達に自身の存在が「家族という共同体の1つ」であるということを認識させなくては沙優のように自身の居場所を見失ってしまいます。これらの「個人の尊重」と「子どもの居場所」の創作のバランス取りというのが、現代の大人がしなければならない事なのではないでしょうか?
女性主導というイレギュラー
これらのテーマは教育論でもあるため、女性の存在をなくして語ることができません。本作に多くのタイプの女性が登場するということにはこのような理由があるのではないでしょうか?
本作の魅力
このように本作には文学作品らしい「掘れば掘るほどわかる複雑なテーマ」があることがわかります。決して一面的ではない作者の主張をうまくそれぞれのキャラクターに背負わせることによって、表現していることこそが本作の最大の魅力なのです。
他のキャラクターも分析すると面白い
上記の考察では主に吉田と沙優を分析することで本作のテーマを解き明かしていきました。しかし、本作のテーマは吉田と沙優以外のキャラクターからも読み取ることができます。ここでは、本作に登場するキャラクターがそれぞれ背負っている個別のテーマについて紹介していきたいと思います。
後藤先輩からみる「年上としての焦り」
例えば、後藤先輩の行動を分析してみると「若い女性に立場を奪われていくという恐れ」があることがわかります。女子高生である沙優の事を異常に警戒していることからも後藤先輩の若い層に次々と追い抜かれていくことへの異常なまでの恐れがうかがえます。
キャラクターの人間らしさ
吉田から見れば憧れの存在である後藤先輩にも、このような醜い一面を描くことで彼女の人間らしさを更に強く表現することができるのです。
三島と「女性の生き方」
年下の女性といえば、沙優の他にもう1人忘れてはいけないキャラクターがいます。吉田の後輩である三島です。三島の行動原理も詳しく分析してみると、三島の行動には「弱い女性としての生き方」という三島なりの処世術があることがわかります。
三島と後藤先輩の生き方の対比
あえて自分を弱く見せることで、周りの行動を促し仕事を進めるという「後藤先輩が一番恐れている」生き方をしているキャラクターであるといえます。
後藤先輩と沙優の駆け引き
特に後藤先輩の「女性としての焦り」は作品で鮮明に描かれています。沙優と初めて会った時のシーンでは、よくみると「沙優に辛い現実を押し付けている」ようにしか見えませんよね。このように一見良いことをしたように見えるシーンでも細かくみてみると、沙優に対しても余裕を持って接することができない後藤先輩というようにみることもできるのです。
それぞれのキャラクターの役割
このように、本作に登場するキャラクターにはそれぞれ「どのような役割をすべきなのか」ということが決まっており「沙優にとっての居場所」と「子どもにとっての自己の肯定の重要さ」というテーマを読者に伝えるためだけに行動や性格が決定されているのです。本作が小説作品でありながらテーマがわかりやすく、漫画やアニメなど多くの形をとることができるのはこのような理由があるからなのです。
まとめ
いかがでしたか?今回は本作のテーマを現代社会の問題点と照らし合わせて分析していきました。元々文学作品だったということもあり、ものすごい情報量でしたね、もちろん今回の記事で紹介したテーマ以外にも、本作には多くのテーマと現代社会への問題提起がありますので、ぜひ自分で探してみてください。