大人気少女漫画『フルーツバスケット』の作者である高屋菜月先生とは一体どのような人物なのでしょうか。フルーツバスケットの内容にも触れながら、高屋菜月先生のプロフィールについて紹介していきます。
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漫画『フルーツバスケット』の作者は高屋奈月先生
大人気少女漫画『フルーツバスケット』。優しいタッチの絵と心に刺さるセリフは男女問わず多くの人を虜にしました。そんなフルバを生み出したのは漫画家の高屋奈月先生です。高屋奈月先生は1992年「花とゆめプラネット増刊」の『Born Free』でデビュー。1998年「花とゆめ」で『フルーツバスケット』の連載がスタートし、2006年に完結されました。
『フルーツバスケット』のあらすじと見どころは?
『フルーツバスケット』は女子高生の本田透と呪いを持つ草摩家との交流を描いたヒューマンドラマです。本田透は家の事情でテント暮らしをしていました。そこをクラスメイトの草摩由希に見つかり、透は草摩家に居候することに。そこで紫呉、夾と出会い、草摩家が抱える「十二支の呪い」と関わります。呪いのせいで心に大きな傷を持つ草摩家の人々。透がどのように関わり、登場人物たちに影響するのかが見どころです。
心温まるストーリーは沢山の人を魅了した!
『フルーツバスケット』は2001年に第25回講談社漫画少女部門を受賞しました。また2007年には「もっとも売れている少女漫画」としてギネスにも認定されました。透と草摩家が織り成す繊細で心温まるストーリーは、国内のみならず海外からも評価を受けました。
高屋奈月先生を襲った病気とは?
高屋奈月先生は2000年から約1年間『フルーツバスケット』の連載を休止しています。原因は局部性ジストニアという病気に掛かってしまったためです。高屋菜月先生が掛かった局部性ジストニアとは身体の意志と関係なしに体が動いてしまう脳神経の病気で、発症のメカニズムが詳しく解明されていない難病なのだそうです。
1年後に大病からの復帰!
難病を患ったものの、高屋奈月先生は2001年に復帰されました。休載前と休載後では絵柄に変化が見られましたが、キャラクターの成長に合わせて絵柄を変えることを意識されたそうです。
『フルーツバスケット』以降の作品を紹介
『フルーツバスケット』後の作品には『星は歌う』、『リーゼロッテと魔女の森』、『幻影夢想』といった作品を出されています。中でも『フルーツバスケット』の直後に描かれた『星が歌う』は高校生4人の物語で、思春期ならではの葛藤や表には見えない一人ひとりが抱く過去がシリアスに描かれており、引き込まれる作品となっています。
2019年の再始動したアニメ『フルーツバスケット』
『フルーツバスケット』のアニメは2001年にアニメ第一弾がスタートしました。2001年版では単行本6巻までの内容で、夾は猫憑きの本来の姿を透の前で見せる所で終わりました。今回新たに再スタートしたアニメ『フルーツバスケット』ではキャストも一新され、単行本全23巻をアニメ化ということもあり、長年のファンの期待も高まっているはずです。
フルバを生み出した作者・高屋奈月先生のまとめ
高屋奈月先生が生み出した『フルーツバスケット』は女子高生の本田透と呪いを持つ草摩家との交流を描いたヒューマンドラマです。連載中、高屋奈月先生は病気に見舞われ休載もありましたが、2006年に漫画は完結しました。老若男女に愛された『フルーツバスケット』はギネスにも認定され、国内のみならず海外のファンに心も掴みました。2019年には新たにアニメが再スタートしたこともあり、『フルーツバスケット』はますます盛り上がることでしょう!ぜひアニメをみてみてください!